「海 外 研 修 〜 台湾の歴史・社会にふれて 〜」





平成12年度修了生・国際情報
 齋藤俊之

研修期日:平成13年9月8日(火)〜平成13年9月11日(火) 3泊4日
研修日程及び滞在先: 第1日目 羽田空港→中正国際空港→松山空港→花蓮空港→花蓮市(泊)
第2日目 花蓮市→タロコ渓谷→花蓮空港→松山空港→台北市(泊)
第3日目 終日各自フリープラン  台北市(泊)
第4日目 台北師範大学→中正紀念堂→ニニ八紀念館→中正国際空港→羽田空港

研修企画立案:荘光研究室
研修参加者: 顧 間: 近藤大博教授・荘光茂樹教授
幹 事: 山本忠士 (1期生・国情)
1期生: 石大三郎(国情)・那須義定(人科)・和田民子(国情)・榊原厚子(国
鈴木佳徳(国情)・齋藤俊之(国情)・礒部昭史(国情・台北市在住)
2期生: 星亮一(国情)・村上恒夫(国情)


 第1日目:平成13年9月8日(土)

 待ちに待った日がやってきた。集合時間の午前7時 羽田空港国際線ターミナルで参加メンバー11名と初めて顔を合わせる。同じ専攻の方もいたが、まだ、初めてお会いする方がほとんどとあって名前と顔が一致しない。どことなくぎこちない。

 搭乗券と台湾出入国手続きの書類が山本さんから配られてビックリ。職業欄がみんな大学教授になっており思わず鈴木さんと苦笑い。この笑いを契機にメンバー間の緊張が壊れたのを感じた。論文・レポート作成の苦しかった思い出など懐かしい話題が飛び交いながら中華航空にて一路、台湾に向かった。

 「間もなく当機は中正国際空港に着陸します」というアナウンスを耳にし、窓に視線を移すとそこにはきれいな湾岸そして緑に覆われた風景が飛び込んできた。初めての台湾訪問。今回の滞在でどれだけの出会いを得られるのか期待に改めて胸膨らませ、台湾の土地に足を踏み入れた。

 中正国際空港の出口を出ると今回お世話になる東南旅行社の蘇信良さんが待っていてくださった。第1日目は、花蓮へ向かう。そのため、国内線、松山空港へ蘇さんのガイドを受けながらバスで移動を始めた。松山空港まで約90分。高速道から見える台北の風景はどれも新鮮であり、絶え間ない蘇さんのガイドが風景をさらに奥深いものにしてくれた。さらに、「(車の走行中)助手席でもシートベルトをしないと罰金をとられるようになったこと」「多くの農家が米作から他の作物へ転作を試みていること」「台湾地震の際における日本の救援物資について」「産業面からみた日台関係」など最近のトピックスをも話していただき有意義な移動時間となった。

 観光に欠かせないのが免税店である。免税店はその土地の代表的な物産を知るには大変便利である。途中、台北市街で寄った免税店で物産の食味案内を受けた。ウーロン茶はもちろん緑茶も製品として台湾で生産され売られていることを知った。口にした時のおいしさは、茶葉の質はもちろんだが、茶葉とこの地の水が調和されこのおいしさが出ていると実感した。では、台湾の消費者は緑茶をどう飲むのかと興味があり市販の緑茶を手にしてみることにした。市販のいわゆる缶やパックの緑茶飲料の成分表示をみてビックリ。日本と同じ緑茶と思いきやなんと添加物で甘み料が入っていた。香港でも緑茶飲料に甘み料が入っていたが台湾でも庶民にはお茶の渋味より甘みを好んでいることを発見する。さらに、食事の際、何気なくテーブルにおかれている爪楊枝をみると、なんと竹製である。台湾では爪楊枝と言えば竹であることを教わりこれも新しい発見であった。

 松山空港に到着。国内線で一路花蓮へ移動した。

 花蓮空港に着くと中正国際空港や松山空港で行きかった人々とは違う顔立ちの方がいることにまず気がついた。さらに空港内のお店もこの地の民族を意識したものが気持ち多かった。それは、花蓮滞在でお世話してくれる女性のバスガイドさんを見てさらにはっきりした。そう、堀の深い少数民族のアミ族の容姿は我々がイメージする台湾人の面立ちとははっきり異なっていたからだ。花蓮という土地は、とりわけ日本との関係が歴史的にも深い地であることは周知の通りである。しかし、我々が話したり知る歴史にはアミ族をはじめとする少数民族との関わりという点を忘れたり、配慮に欠けやすい。花蓮に着いたその晩、アミ族の民族舞踊を鑑賞した。「舞踊を通して民族の生活精神を若い世代に引き継いでいきたいので」という団のあいさつにおける一つのフレーズが強く心に響いた。古きものの良し悪しを理解せずに軽く「時代遅れ」と何でも捨てて行ってしまう風潮に埋没している今の自分の生活に警鐘を鳴らしてくれているように思えたからだ。舞踊を見ながらふと「伝承」という言葉を思い出した。単に時代に合わないから捨てるというのではなく歴史的に民族またその地域において生活から培った技術、精神、教えは目に見えないものほど貴重な財産であり遺産として代々人々へ伝承して行くことは決して欠かしてはいけないとても大切なことではないかと。

第2日目;平成13年9月9日(日)

 カーテンを開けたまま、昨夜は寝てしまったらしく、日の差し込みで花蓮の朝を迎えた。ホテル周辺のある民家の一ブロックを少し散歩してみるとどこの家の門にも石の表札が掲げられている。玄関先に置いてあるバイクはヤマハやスズキと日本製だ。さらに道路を渡る若者のTシャツを見てビックリ。日の丸に必勝文字のプリントだ。ほんのちょっぴり歩いただけでここに住む人々の生活の中に日本が見え隠れしていることがわかった。

 今日はタロコ峡谷へ行く。花蓮の市街を経て我々のバスはしばらく山間に向かって走り「新城」という標識を道なりに左折した。そこから5分も乗っただろうか蘇さんが前方の門を指差し「この門をくぐるとタロコです」と案内してくれた。門には「東西横貫公路」と書かれてある。

 我々のバスは、所々バス1台分がやっとという細い道幅の断崖絶壁の公路を走った。大理石の断崖とそこに植生する植物、渓谷の空間に覗かせる青い空、渓谷から流れ出る岩清水という絶景を楽しむとともに、今でこそ大型バスが行き交える公路となったが、戦時下にこの公路を建設するにあたって日本人を含む多くの人々の死を受け入れながらも道の開拓を成し遂げた人々の偉大な足跡は絶景に見る「うつくしさ」をさらに超えて強く心に打たれた。

 空路 台北市へ

 台北市へ戻った。こちらに在住している礒部さんが駆けつけてくれた。久しぶりの再会であり、元気に活躍していることがうれしい。食事後、士林の夜市へ出かけた。食あり、雑貨ありと大勢の人が行き交いする。荘光先生が「これ見てごらん」と指差した所には鳥の足爪がしっかりわかる揚げ物が売られておりビックリ。ゼラチン質でおいしいと言うことだが結局、買って食べる勇気が出なかった。レコード店に立ち寄ってみるとうわさに聞いていた通り、日本のポップスやアニメのコーナーが広く取られておりその熱狂ぶりが伺えられた。「市」とか「バザール」とか多くの人が集まりモノを売買する。こうした活気ある場所は、疲れを忘れさせ元気の素をも分け与えてくれているようで不思議な空間である。

第3日目:平成13年9月10日(月)

 今日は各自のフリータイムの日である。

 烏来訪問や故宮博物館見学など、各自それぞれの計画で1日を楽しんだ。

 午前中、私と和田さんは、MRTで礒部さんのオフィスへ向かい、礒部さんとスタッフの方のご好意を受け、中正紀念館・SOGO・飲茶店を案内していただいた。

 SOGOでわかったことは、セールの値引き表示が、日本で多い例えば「3割引き」というものではなく「3割で買えます」という表示の仕方であったこと。3割引と解釈しても安く感じたのに3割で買えるとなれば断然安く、ついつい衝動買いしそうになった。

 案内していただいた飲茶店は、東京・新宿にも支店があるという。地元の人に大人気というこのお店。行ってビックリしたのはお店の入り口がなんと調理場。来客者はこの調理場を通って2階・3階と階上の客室へ行くというお店の造りであった。食べる飲茶の味は格別で満腹感になるのがもったいなく思った。

 午後は故宮博物館で、星さん、村上さん、榊原さん、鈴木さんと合流。半日ではとても見きれなかったので、興味あるコーナーを抽出して回った。甲骨文字のコーナーでは人間のコミュニケーションの原点、文字由来の奥深さを実感するに足る出土展示品の数々に驚くとともに、モノや事象を誰もが見てもわかるように記号(文字)化する古代人の創造性と努力は非常に素晴らしいと思った。そういえば我々の身の回りで、新しく日本語にないものは、自らの国語で創造しようという努力なしになんでも外国語の読みからカタカナで表記することが多くなっていることに気がつく。自分達のコミュニケーションの媒体としてある日本語、漢字を創造していく、大切にしていくという努力の疎遠は、日本人同士のコミュニケーションの疎遠化そのものではないのかとふと思えた。

第4日目:平成13年9月11日(火)

 荘光先生の母校でもある台北師範大学へ公式訪問をした。歴史由緒あるこの大学へは今でも、当時、ここで学んだ日本人が訪れるという。幹線道路を挟んで人文系と理工系に分かれているキャンパスであったが、各校舎では新入生歓迎会の準備やサークルそして研究する学生達で多く行き交っていた。さらに、付属の図書館に行くと検索機器、AVルーム、特別資料室など立派な施設に感心させられた。さらに貸し出し、返却システムは日本の大学図書館よりも一歩先をゆき、セルフでIDと借りたい蔵書を機械に置くだけで自動管理され自由に貸し出しされるシステムには驚かされた。

 案内してくれた学生に「学習における悩みは何ですか」と訪ねると「語学(外国語)です」という。近年、日本への留学の他アメリカへ渡る学生が増え、学習熱が高まっているという。「将来は、英語の先生になりたい」そのために大学院へ進みます。というハツラツな姿は勢い良く発展を続ける台湾を表しているかのようであった。

 その後、台湾の父として敬われる故蒋介石総統を記念して立てられた中正紀念堂と事件反省のもと平和を念願するニニハ紀念館に立ち寄った。

 発展繁栄の歴史を考えた時、その時々を統治していた側の人々から見た歴史、統治されていた側からみた歴史、さらに個々の民族からみた歴史はその過程で生じた、たとえ同じ出来事であっても捉える眼は異なる。つまり、ある一つの見方で良しと判断することは出来ない。起こった事実そのものをまず理解しそれをどう判断するか。繁栄、発展の過程という「光」の面のみではなく「影」の面にも目を向けるその大切さをこの2つの紀念館を見学し終えた時思い感じた。

 4日間の滞在が終わろうとしているバスの中で鈴木さんがいう「台湾は今後どういう方向に向かって行くのかなあ」と。私は返答できなかった。しかし、中正国際空港に着く間際、ガイドの蘇さんの最後の挨拶の一フレーズ、「中国のWTO加盟にあたり台湾が大陸中国からどう扱われるか非常に心配しているけれど、日本のみなさん応援してください」これが台湾が今置かれている今の状態だろうと察知した。国際的通商における台湾の現在置かれている位置の難しさを率直に危惧する台湾人の複雑な悩みがそのフレーズから伝わってきたからだ。過去の歴史を直視しつつもこれからの道標をどう作っていくのか日本もまた台湾も難しい舵取りの渦中にあることは間違いないと。

 蘇さんと別れ、ゲートへ向かったが、航路上に発生している台風の影響で出発できず。待合室に約6時間程待たされることとなった。我々が機内に入り、やっと離陸したのは台湾時間で20時近くとなっていた。今回の4日間の台湾で得たいろいろな思い出に酔いながらも機内では早くも来年の海外研修をどこにしようかと話が弾んでいた。しかし、実はこの時、アメリカニューヨークでは大変な事が起きていたことを知ったのは我々の便が羽田空港に9月12日の午前0時を回り、星さんが携帯電話より情報を得たその一報だった。「ワールドトレードセンターに民間機が突っ込んだ」と。日本に国際的な立場を可及的に問う、歴史的事件が起きたその時、我々は飛行機に乗って上空にいたのである。まさに難しい舵取りを国際的に突きつけられたその日、研修は無事終り、その舵取りを見守ることとなった。
(終)