「第三回歴史研究会に参加して」





平成12年度修了生・人間科学
那須義定

 10月20日〜21日と長野県小県郡青木村の田沢温泉富士屋ホテルを会場に第三回歴史研究会が開催されました。今回は地元幹事として北原 朗さん,事務局として村上 恒夫さん・情野 瑞穂さんにお骨折りをいただき感謝しております。

 午後1時からさっそく研究発表が始まりました。

 石 大三郎氏・「東京裁判」,泉田 厚平氏・「越後の今昔―その@」,大武 智子氏・「中国での出来事」,齋藤 俊之氏・「じゃらんじゃらん―マレーシアのすすめ」,情野 瑞穂氏・「いろは歌の怨念」,野明 厚夫氏・「永遠の平和のために―カント」,星 亮一氏・「戦国という時代」,村上 恒夫氏・「神隠しA―精神医学はどう考えているか」・那須 義定・「那須国造碑の碑文について」いずれも内容が充実しており時間不足の感を持ちました。

 また,地元の歴史家で青木村図書館長の沓掛 貞人氏が「青木村の歴史〜東山道・大法寺・義民を中心に〜」というタイトルで講演してくださいました。

 個人的な話で恐縮ですが第二回の歴史研究会に際に次回は長野県の開催と決まり心が踊りました。是非訪ねてみたいといころがあったからです。

 小生,那須氏の研究をしており,下野那須氏の他に信濃源氏流の那須氏があることを知っておりました。信濃那須氏の系図によると地名をとり那須と名乗るとあります。ところが那須の地が長野県内の何処にあるのか長く謎でした。全国の主な那須氏の旧家とはすべて連絡を取ったのですが信濃那須氏を名乗る人にはまだ会ったことがありません。不思議に思っておりました。近江那須氏の系図は信濃那須氏と下野那須氏の系図がからみあっています。

ところがなにかの古い文献に信州の那須湯というのを見つけました。長野県に調査を依頼したところ長野県青木村の田沢温泉が江戸時代には那須湯または那須里と呼ばれていたことが分かりました。信濃源氏の系図にいう那須の地と関係があると直感しました。あるいは那須の地とは田沢温泉そのものを言っているかもしれません。そのうち時間が取れたら訪ねてみたいと切望していました。

 こういった事情があり北原さんに第三回歴史研究会は田沢温泉で開催してほしいと希望を述べました。北原さんから快諾をいただき,田沢温泉に決まりました。

 富士屋ホテルに着くとすぐ前に「那須里」という小料理屋があり感激しました。沓掛 貞人氏の青木村に東山道が通っていたという話を聞き,驚嘆しました。歴史の研究の「足で稼ぐ」ことの大切さをあらためて実感しました。

 『日本霊異記』下第二十二巻・第二十三巻に小県郡の記載があり東山道が小県郡を通っていたことがうなずけました。

 田沢温泉は島崎 藤村が小説を書くためによく投宿したところだそうです。富士屋ホテルの社長は青木村の村長とのことでした。

 富士屋ホテルは山の斜面を利用して建てられた木の香りのするホテルでした。長い廊下でそれぞれの建物が連絡されていました。フロントから部屋に行く途中,古い小学校の教室のようなところがあり,中に卓球台が置かれていました。なにか見たことがあるような気がしました。テレビで見た松坂 慶子の卓球の宿がこのホテルだったのです。

 富士屋ホテルの露天風呂はすばらしく,『仙人の湯』は飛鳥時代より自噴するきれいな源泉で不老長寿の湯として有名だそうです。眺めも最高でした。

 一風呂浴びて夕食を取りながら「今回のテロに関して」のデスカッションとなりました。

 小生は大学院では西田哲学を専攻しました。アメリカのテロに対する報復攻撃に関して,すぐに空爆といったワンパターンな行動様式・報復などという言葉を軽軽しく使うなどアメリカ政府首脳部の頭の悪さと哲学の無さに閉口していました。西田哲学を理解していたら別な解決方法を見出すはずです。ともあれ,国際情報専攻の研究会員の意見も聞くことが出来大変参考になりました。

 翌日は青木村にある国宝・大法寺三重塔,上田市にある国宝・安楽寺八角三十塔,長野市の善光寺を見学しました。

 第三回歴史研究会の開催地が田沢温泉で大正解であったことに満足しながら帰郷しました。

 歴史研究会顧問の近藤 大博教授も御満悦のよういでした。