国際情報専攻 外岡大成

「時代の流れ(総合雑誌無用論)」

イソップ、シャンブリ版102に「水辺の鹿」というのがある。
鹿が水辺に映し出される自分の見事な角に見惚れる一方、細くて頼りない脚を見て悲しんだ。そこにライオンが現れ、鹿は一目散に逃げだし、ライオンを遠く引き離し、平原から安全な茂みに入ったところで、細い脚でなく自慢の角が木の枝に引っかかり、ライオンに食べられた。というものである。

今の若者は、親の手厚い保護と恵まれた環境の中で不自由なく暮らしている。
この満ち足りた社会で、彼らは、自ら進んで得ようとする夢も持たない。おのずと低俗なコミック誌、携帯電話に没頭することになる。
かっての総合雑誌が掲載した普遍的で充実した論調など彼らにとっては無用である。互いのアイデンティテイの確認は頼りないコミック誌と携帯電話があれば十分できる。
満ち足りて、知的ハングリ―精神に欠ける彼らに対し、総合雑誌のもたらす効果は、主意、主観的自己満足の世界という致命的な危険への導き以外考えられない。