熟年交遊録
「第2号からの連載」






国際情報専攻
橋本信彦

オーエスオーエスと浮かれながら、それでも大事そうに
パソコンの入った箱を抱えてヤッチャンは帰りました。そ
の晩のうちに電話が入るだろうと、覚悟して待ち構えてい
たのだけど、いっこうに電話がない。翌日もない。一週間
たってもない。このまま327年と4ヶ月と30日経つて
も電話がないといいな、と考えたとたんに電話があった。
ガーーンである。

 深呼吸を繰り返し、呼吸を整え、生命維持体操を行った
後にヤッチャンにその後のことを聞く。なんと、やはりバ
イトの東大生を無理やり自宅に連れ込み・・・あの、念の
ため断っておきますが、このバイトの東大生は男なのです。
女の子だったら大変です。あ、でも男でも大変かもしれな
いな。で、とにかくその彼にセッティングをすべてしてもらい、
さらに以後のメンテナンスと、電話によるサポート24時間
受け付けまでを強引に約束させたようなのである。

「あのなぁ、無理やりはまずいぞ。もういい年なんだから

ね、そこいらへんはわからないと」

「だいじょうぶ、オレんとこで雇っているバイトだし、割
増払うことにしたし、東大生だし、いっしょに遊んでいる
し」

 なんで東大生だと大丈夫なのか、いっしょに遊んでいる
ってどういうことかを聞こうと思ったが、今回もやめた。

 なんと、さっそくメールのやり取りを東大生と始めたと言う
ではないか。なんでぼくに送らないのかを聞こうとして、喉ま
で言葉が出かかったがそれ以上出てこない。言葉がいやい
やしている。うむ、言葉のやつもなかなか賢いではないか、
と我ながら感心する。ぼくの思慮のなさを言葉がカバーし
ている。なんだかわけわかんない。ともかく余計なことを言
うなということだ。

「そうか、それはよかった。とにかくメールのやり取りは
東大生に限るね。まことにめでたい」

 なんで東大生に限るのか、なんでめでたいのか、聞かれ
ないうちに電話を切った。

 数日後 妻が、ヤッチャンから電話よと、片方の目を吊り
上げて、ついでに肩も怒らせながら電話機をよこす。どうで
もよいことかもしれないが、なんで吊り上がる目が片方だ
けなのかちょっと考えた。肩は両方怒っているのになぁ。

 10日ぶりの電話の内容は、もちろんパソコンの操作上
のことではなく、メール友達のことらしい。ぼくはとっさ
に、その件は資料が3階にあるからと、電話を3階にかけ
直してくれるようヤッチャンに伝えた。妻の前では返答に
困る内容になりそうだからだ。

 すぐに3階に電話がかかってきた。そうとう緊急を要す
る内容みたいだ。

「あのね、橋本君。じつは相談があるんだ」

 ヤッチャンのこのようなもの言いは始めての経験だ。じ
つに危険な感じがぼくの身体全体を覆う。「橋本君」はま
ずいだろう。ひょっとして、東大生とメールの交換を続け
ているうちに、普通人より若干少ないと思われる脳味噌回路
が72個切れたのかもしれない。いや、もっともっとさらに
ひょっとして、急に勉学に目覚め、毎日4時に起き、長文読
解(英語・ドイツ語)を各2ページこなす。5時からは、
【基本判例解説シリーズU刑法の判例】を読み、さらに仕
事終えた夕食後の時間には、メディアと情報社会の関連に
ついての書物を読みあさる。などという目を覆うようなキ
チンとした生活を始めた・・・なんてなことはぜったいにな
いな。

「んとね、じつはね、メル友の幸枝さんがね、会いたいと
言うわけよ。でさぁ、そこで相談なんだけどね」

「幸枝さんって誰、親戚の人」

「よそん家の奥さん」

「えぇーーそれってまずいだろーー」

「ソンダンデス」

 目の前にヤッチャンがいたら拳固で殴っていたかもしれ
ないほどの下等レベルの駄洒落を聞きながらマズイことに
なったと思った。冗談ではなくマズイ。相談を受けては最
悪の結果になりそうなので、なんとか回避すべく必殺の奥
の手を。

「あ、ゴメン。これから人に会うんでまた連絡するよ」

「いつ、帰るの」

「えーと、いまは言えない」

「・・・・・・・・」

「ほんと、ゴメン、んじゃあ」

「あのね、君の、橋本君の携帯電話番号をおせーたから」

「えーーーーーーー、ダ、ダレニィーーーーーー」

「幸枝さん」

 ぼくは、人に会う約束も、朝晩の歯磨きも、日に三度の
用便も全部取りやめにして神に許し乞うたがもう間に合わ
ず、幕は上がってしまった。頭の中が白い霧で覆われてい
る。ヤッチャンとの電話では通常何回かある、息が止まり
そうな瞬間の第2弾がやってきたわけだ。本日二回目の深
呼吸運動を行い、生命維持に必要な心肺機能の動きを確認
し、覚悟を決め話を聞くことにした。

                         以下次号