「仙台開府四百年と仙台七夕」
人間科学専攻 大黒一司 |
何年ぶりかで,子ども達にせがまれ仙台七夕に行って来ました.今年は,仙台開府四百年であり,例年よりいろいろな行事があったようです.
今回は,仙台開府四百年と仙台七夕のミニ知識を「杜の都仙台」からみなさんに伝えたいと思います.
仙台のまちと伊達正宗
今日ある仙台のまちの歴史は,今から四百年前の慶長6年(1601年),独眼で知られる名君伊達政宗が開府(62万石)したことに始まります.伊達正宗は秀吉や家康が天下を統一した時代に生き,「天下をわが手に」という野望を持っていました.しかし,家康が徳川幕府を確立した後は,「天下」の夢より,家康の相談相手として徳川政権を支えました.
その一方で,仙台城と城下町の建設など藩政に力を注ぎました.また,国際人としても積極的に活動し,日本初の欧州派遣使節(ローマ,スペイン)を送り,ローマ法王への謁見(支倉常長)を実現しました.
写真は,仙台市青葉山の仙台城(青葉城)跡に建立された伊達政宗像です.四百年前と同様に政宗公は,時代とともに変わる仙台のまちを,城跡から眺めているのでしょうか? 正宗公の独眼に,いまの仙台はどのように映っているのでしょうか?(写真が不鮮明ですみません)
仙台七夕の歴史
仙台七夕の歴史は,政宗公の時代にさかのぼります.婦女子の文化向上のために七夕祭りを奨励したとも言われています.また,天明3年の大飢饉の際には,その世直し策として盛大に行われたとも伝えられています.当時,紙は非常に貴重であり,容易に手にすることのできない時代にあって,庶民が短冊一枚にこめた願いは絶大なものであったに違いありません.
明治維新以後,とりわけ新暦採用後は全国的に七夕まつりの開催は衰微し,第1次世界大戦やその後の不景気により,祭りの様子は寂しくなるいっぽうだったようです.昭和2年,不景気を飛ばそうと仙台商人の心意気とばかりに,華やかな七夕祭りが復活しました.しかし,再び戦争が勃発し仙台のまちから七夕飾りは消えてしまいました.
現在の仙台七夕とその特徴
終戦の翌年,昭和21年,空襲による焼け跡に52本の七夕飾りが復活しました.昭和22年には昭和天皇が仙台を巡行され,それを契機に商店街の七夕にかける熱意が盛り上ったようです.
その後は,商店街振興や観光として変貌してきました.今や東北3大祭り(青森ねぶた祭り,秋田竿灯祭り)のひとつとして,全国から多くの観光客が仙台を訪れ,きらびやかな竹飾りに満悦しています.
仙台七夕の特徴は,本物の和紙と本物の竹を用いて飾り付けを行うことです.竹の長さは10m以上,1本の価格は数十万円〜数百万円といわれています.そんな豪華な七夕飾りを,一度観にいらしてください.
みちのくの短い夏は祭りの中に凝縮されているような気がします.写真は「七夕飾り」です.ちょっとお祭り気分を楽しんで頂けたらと思います.
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