「卒業必要最低30単位の意味」
国際情報専攻 渡辺康洋 著者紹介: 所沢からほど近い東京都板橋区に住んでおります。 |
クリスマスイブの日曜に私は修士論文の原稿を書き終えた。概ねスケジュール通りだった。分量は、参考文献や目次のページを入れると70枚ちょっとになった。修士論文としては、やや長い部類に入るそうだ。しかし、原稿が終了しても、その後、目次、注や参考文献の記述スタイルの整理、そして要旨の作成などまだまだ作業があることはわかっていた。だから、お正月休暇をいれても一ヶ月弱くらいはさらに時間が要るだろうと踏んでいた。果たして、論文の最終的な完成はぎりぎりになった。郵便局から大学院事務室宛に郵送手続きがとれたのは、締め切りの前日だった。予想していた通り、原稿終了後の作業はかなりヘビーである。それまで引用箇所などは、いいかげんに付箋を貼っておいただけだったので、あらためて一冊ずつ出版社や年度を調べなおさなければならなかった。これにけっこう時間がかかった。また、印刷も大仕事である。70枚からのプリントアウトは、だいたい途中で何かトラブルが起こる。そもそも私の原稿はグラフが多かったせいもあり全体で7MBもあるのだ。安いプリンターでは、すんなりと一発でうまくいくはずもない。副本は簡易製本して3部提出することになっている。やっとの思いで、完成したプリントアウトを持って、キンコーズで製本してもらったが、終わったあとで要旨を含めるのを忘れていたことに気づいて、すべてやり直し。大学院は決して楽には卒業させてはくれないのだと実感した。
私の論文のタイトルは、「Economic Condition of a Tourist Destination and How it affects the Japanese Travelers」。日本の経済状況ではなく、相手国の経済状況がその国へ旅行する日本人観光客数にどのような影響を与えるか、という研究である。結論を言ってしまえば、日本人は景気の良い国に多く旅行する。景気が悪くなるとあまり行かなくなる。その証明に際しては、悲惨指数(失業率と消費者物価指数の和)や、メディアに表れた経済記事数などと渡航者数との関連を、相関係数を用いて分析した。旅行会社に勤務してきてなんとなく実感していた現象をまがりなりにも科学的に立証することができ、自分なりに満足している。
論文の原稿を書き始めようと決意したのは、7月中旬である。このスタート時期に特に根拠はない。おそらく、前月末に大学院に論文テーマを正式に提出したこと。同じころ指導教官の近藤先生のゼミがあり、論文骨子について最後の発表を終えたこと。そして会社で夏休みのスケジュールをきめる時に(当社は7月から9月いっぱいに夏休みをとることになっている)、あらためてカレンダーをじっくりながめることになり、意外に時間がないことを思い知らされたことなどが理由である。
しかし、幸いなことに原稿を書き始めるまでに、論文のいわばストーリー展開はかなり細かく決まっていた。すべて近藤先生の導きによるものだが、一年次後期のリポートが終わったころに、とりあえず目次を書いてみろとの指示。つづいて序文を書けと。それと併行して参考文献をリストアップした。これらの一連の作業で、論文構成の下地が自然と、かなりの部分できあがってきた。そして春の所沢でのゼミでは、そのころたまたまパソコンをいじっていて面白くなっていたパワーポイントを使って発表をしてみた。6月のゼミ時は全員がパワーポイントを使用することになったので、私には一回目のものを改訂するチャンスが与えられた。振り返ってみると、パワーポイントの各ページが論文の章立てとほとんど一致している。大変有効な作業であった。また、私の場合ゼミ時の先生や同僚からのアドバイスやコメントがヒントとなっていくつか新たな章がおきている。自分では見過ごしていた点がずいぶんとあったということである。ゼミで他の人の意見を聞くということがいかに大切であるということか。
さて、私の論文の長さ約70枚というのは、論理展開上70枚が必要だったというわけではない。なぜその長さになったかというと、7月中旬に執筆スケジュールを考えた時点で、70枚以上は書けないということがわかっていたからある。それはなぜか。それまでの履修講義のリポート作成経験から、週末に自分が書くことができる枚数はせいぜい4枚であることがわかっていた。そして、原稿を完成させようとしたクリスマスイブまでの週末の回数から、前期リポート作成のために論文には時間がさけない週末や、すでに決まっていた会社の出張予定などをけずってゆくとせいぜい14〜15回しか週末がなかったからである。フルタイムの勤務をしながら大学院の勉強をしようとする者は誰もそうだと思うが、実際勉強にあてられる時間は週末に限られる。ウィークデイはかなりきつい。そこで毎週末4ページを書くという必達ノルマを自分に課した。尤も執筆も半ばを過ぎ、ある程度終わりが見えてくると心に緩みがでるのかサボりぐせがつき、土日には書けずに月曜の晩会社から帰って深夜まで書くことも何回かはあった。(晩秋の火曜日の会議では、あくびばかりしていた。)しかし、概ねこのスケジュールをこなすことができ、原稿完成にこぎつけることができたのである。
このように私の論文執筆にとって、自分が書くことができる量がはっきりと把握できていたことが大きかった。これはそれまでの前期・後期のリポート作成作業から得た経験則であった。これらリポートの作成は、書くことの練習でもあり、書くことに要する自分のエネルギーの計測機会でもあった。入学時に、大学院とは自分でテーマを決めてその研究を2年かけて自分で実行する場所だとのお話があった。しかし9月と1月の前には、それならば、なんでこんなに何本も研究に関係のないリポートを書かなければならないのだと、おおいに憤慨したものだ。なぜ論文以外に24単位もとらなければならないのだ。
ところが論文を書いてみてやっとわかった。そうではないのだ。卒業必要最低の30単位はむやみに決められているわけではない。考えて文章を書くトレーニングのためにどうしてもその程度は必要なのだ。そして、リポート作成は、自分が文章を書くのにどのくらいの時間がかかるかを知るために行うのだ。―――でも、だったら最初からそう言ってくれてもいいのに、とも思う。
|
|