「修士論文は、感謝の!でも、〈必然〉?」

文化情報専攻 冨田和子

著者紹介:
 名古屋の椙山女学園大学短期大学部で助手をしております。
 本研究科で永岡健右先生のご指導の下に、藤村童話を学び、私に何ができるか、新しい視野で新しい学問分野を体験していきたいと思います。と、当初、抱負を述べ、修士論文の他に、在学中に、新たな視点で二本の論文を書くことができ、今年、感謝して卒業いたします。


 「修士取得記念号」〈修士論文執筆の苦労譚特集〉とのこと、喉元過ぎれば熱さを忘れるという言葉のように、今は眼前の雑務(職場の改修工事のための引越し用荷造り・片付けなど慣れない作業)に慌しく、疲労し苦労しているのですが・・・。(実のところ、本当に大丈夫かしらと不安を感じつつ、無事修了できると思い込んで書くことにいたします。)

さて、提出した論文の題目と要旨(200字)は、次の通り。

題目:藤村童話 ――『力餅』の可能性とメッセージ――

要旨:まず、藤村の子供観やユーモアの理解度と意識を確認し、藤村童話『力餅』の可能性を検討した。次に、藤村の生立ちを重ねながら、『力餅』に描かれている時代の庶民感覚を意識して、読み取れる藤村のメッセージを検討した。その結果、日本浪漫主義の新体詩人であり、日本自然主義文学の代表作家であるという従来の評価に安住しないで、彼の「童話は残るかと思いますが」と言った言葉に芸術家としての冒険心を見出すべきである。

ところで、受験当初、提出した研究テーマは「庶民感覚と現代文化」。具体的内容は、藤村の童話を、私のこれまでの、江戸時代後期から現代に至る、特に東海地方独特の庶民文芸で、雑俳に分類される狂俳研究で培った幕末以降の民衆に支持された雑俳感覚をベースに切り取って、藤村の「飯倉だより」の「童話」に載る「大人に聞かせたいことと、子供に聞かせたいと思ふことがある。」という言葉の中の、特に「子供に聞かせたいと思ふ」情報から、童話の本質を窺い、次世代に発信する文化や思想傾向を探るというものでした。

そして、その中心は、私のこれら別物に見える文芸への関心を、庶民感覚と現代文化をキーワードに止揚させて、とらえる方法を見つけるというもの。作品に現われたコミュニケーションの取り方や行動、また社会の一員としての役割や、噂なども含めて入ってくる情報に対する対応の仕方など感情が起因した様々な側面を、学際的に研究する方法を学び、作者たちの関心から文化の発信する情報を読み取る手法を研究したいと感じていました。

とはいえ、入学後、アプローチの方法を変更し、また元に戻す・近付けるといった迷いもあって、結局、入学当初めざしたテーマの解決までには至らず、今後の課題に残ってしまいました。でも、受講したすべての科目の学習を通して、示唆を受けたところは不思議に多かったと感じています。

それは、まず、一年次に、「比較文化・比較文学特講(世界の中の能)」と「日英比較文化・比較文学特講」を受けて発想を得、「『力餅』と『ハムレット』――藤村童話から――」(「椙山国文学」第二四号 椙山女学園大学国文学会発行 平成12年3月 P67〜P79 )を論じることができました。(何とも恥ずかしくて、抜刷をお送りせず、申し訳ございません。)因みに、要旨は、藤村の西洋文学の影響を童話にまで広げ、藤村童話の内、青年期の体験等を題材とした『力餅』への『ハムレット』の内面的な影響をよみとり、表現しようとしたところを検討し、教訓的・教育的に捉えられがちな藤村童話ではあるが、青春の中でパラドックスに陥って苦悩するハムレットのような悲劇を避けて、新しい時代が到来する中で、『力餅』は「自由な舞台」に生きるための表現を試みたものであろうと結論付けました。

次に、二年次には、「アメリカ文学特講T」と「国際コミュニケーション論特講」を受けて発想を得、「藤村童話と『フランクリン自伝』」(「椙山国文学」第二五号 平成13年3月発行予定)を論じることができました。要旨は、藤村童話四作と『フランクリン自伝』を、パブリックコミュニケーション研究の一問題点、メッセージの送り手の信頼性を意識して比較し、類似点等から検討し、両者の示した教訓の度合も影響力も違うものの、疎外からの救済を求めて、幼年期からの自己の体験をユーモアで演出して描き、子供に演出したい自分自身の存在を伝える目的が共通する。藤村童話の根底にある「子供に聞かせたいと思ふこと」は、自分自身の存在であると考察いたしました。

更に、修了のための単位にはならない聴講で、国際情報専攻の国際情報論特講T夏期スクーリングに参加し、特に、昭和初年頃に始まった円本ブームの状況がよく理解でき、藤村を論じるに際し、有益でした。(単位にならない代わりに、リポートを出さなくてもよい気安さはありました。そして、どなたとも面識のない、専門外の、しかも門外漢の私を、授業後のハッピーアワーでも気安く受け入れていただき、更に、五限目に開講された特別講義の先生方にも、素人の質問に驚かれつつもご教示いただき、本当にどうもありがとうございました。)

ご存知の通り、「比較文化・比較文学特講」は必修科目ですし、「日英比較文化・比較文学特講」には、藤村作品との比較が含まれていたため、藤村に惹かれて受講を決めました。国際情報論特講T夏期スクーリングの参加は、藤村の生きた時代の出版事情や日本における国際認識の変化とメディアの変遷を把握するといった点に惹かれて聴講いたしました。

でも、二年次の「アメリカ文学特講T」と「国際コミュニケーション論特講」の受講は、予想外の行動でした。それは、一年後期リポート提出後の研究科報(平成12年1月28日付)で、初めて、文化情報専攻の単位では、英語の専修免許状の取得申請しかできないと知り、英語の普通免許状は持っていないのに、その単位を取得しようと欲張ったための行動だからです。この行動は、「日米比較文化・比較文学特講」をも履修登録させました。

偶然、履修登録した「アメリカ文学特講T」で『フランクリン自伝』を読み、「国際コミュニケーション論特講」でトマス・カーチマンの『即興の文化』を読み、「日米比較文化・比較文学特講」でピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』を読み、これまで知らなかったアメリカ文学・文化に接しました。別々に提示された教材によって、これだけ初期から現代までのアメリカ文学・文化に出会えたことも予想外でした。

その上、「日米比較文化・比較文学特講」で『万延元年のフットボール』を読み、「近代日本文学特講V」で『小説の経験』を読み、ノーベル賞作家として世界的評価を得た大江健三郎に触れたことは、戦後の世界的文化潮流をも視野に入れて、修士論文を考えることができ、とても有効でした。

どの教科においても、楽しむための読書にとどめず、リポート作成のために作品を読み込むという行為がよかったのでしょうか。

とはいえ、修士論文作成のための特別研究の他に、欲張って二年次に五科目も履修登録したため、結局は二科目を断念し、英語の専修免許状取得のための単位は満たせませんでした。が、不思議に連鎖し、示唆を受けていたと感じています。「比較文化・比較文学特講」では、〈必然〉ということを学習したことが一番印象に残っております。まさに、それを体験した思いです。

他には、修士論文の形式を、課程博士の論文の形式と勘違いしていたため、二年の八月下旬に行われた特別研究スクーリングで、論文のはじめに研究史が必要とわかった時、慌ててしまったことが挙げられます。それは、藤村童話が彼の伝記研究や詩や小説の研究の中で触れられることはあっても、それらの研究に比べて、藤村童話の研究はとても少なかったことと、文献収集は心がけていたものの、何と言っても、まとめていなかったからです。そこで、

アドバイス

@体調に気をつけよう。(特に、二年次によく風邪をひいてしまいました。)
A感謝しよう。(次第に実感されると思いますよ。遅くとも修士論文の面接試験までには。あらゆる点で恵まれ過ぎていて、鈍感になってしまっていない限り。)
B研究史は、遅くとも、一年の後期リポート終了後にはまとめてみよう。
C参考文献はまめにリストにしておこう。
Dメモ用紙をあちこちに置いておこう。
E意外な科目も受講してみよう。
F〈必然〉を信じよう!

では、どうもありがとうございました。中には一度も面会致さぬままで、Eメールや電話などでのご指導やご著書を通して、不思議にお人柄を想像してしまいながら、まるで江戸にいた賀茂真淵と伊勢松坂にいた本居宣長の関係のようだと自惚れて、苦しくも興味深く面白い時間を過ごすことができたと感じております。所謂、中年になってからの入学で、特に精神・思想面で成長の糧を得た気分です。

ヘルプデスクと事務課の皆様にも大変お世話になり、本当にどうもありがとうございました。

これからの皆様もきっと同様な気分になられることを予測できます。頑張ってください。