「空を舞う手の意味を求めて」

文化情報専攻 棚田 茂

言語としての手話が再認識され,自然言語として
手話における言語芸術,言語美が注目されています。
言語学的研究は最近,盛んですが,詩学,文学における研究は
まだ未開拓の分野です。
そのパイオニアになろうと思っています。
よろしくお願いします。















論文題目「詩的手話のリズム研究」

【なぜ、このテーマにしたのか】

 ろう者である私が取り組んだ論文のテーマは「詩的手話のリズム研究」。手話
をテーマにしたものは文学研究、言語学研究ではマイナーな方だ。その中でも特
に「詩的」なものに絞った研究は、ほぼ皆無に等しい。未開拓の分野で研究する
ことはある意味では大胆な挑戦であろう。何故、詩的手話が「詩的」に感じるの
かを追究したのが今回の修士論文の主要テーマである。
 詩的手話の存在を確信したのは、1997年にアメリカから来日したClayton
Valli博士との出会いであった。彼は手話学・手話詩学の博士号を持つろう者で
ある。彼が披露して見せた手話詩が私を手話詩学研究に追い込んだ。彼の手話詩
の作法の施しを受け、これをもとに日本における詩的手話といわれるものを分析
した。
 アメリカにおける手話詩学研究は手話音韻論研究の発展と共に発展していった
が、手話詩学はまだまだ始まったばかりである。日本においては手話の言語学的
な研究がようやくスタートしたばかりであり、文学的側面からの研究はまだなか
った。手話にも文学的要素があるということは経験的に分かっていたが、どのよ
うな面で文学的なのか、それを言語学側面から追究しようとする試みは無謀とも
思えた。しかし、このテーマでやらなければならないという私の意志が私自身を
動かしたのである。

【研究生活で・・・】

 大学院では、上田教授の下で修士論文を作成することになったが、修士論文作
成以上に私は上田教授から大きなことを学んだ。実に人生におけるルネッサンス
であった。すべてのことに意味があり、小さな出会いでもその人にとっては意味
がある。その意味に私は今まで気付くことなく過ごしてきた。上田教授の専門は
融合文学としての英語能・シェイクスピア能研究であった。これらの研究が私の
テーマである「詩的手話のリズム研究」とどのように結びつくのであろうか。入
学案内パンフレットに載っていた上田教授のプロフィールを読んだとき、全身に
電撃が走ったことを今でも覚えている。「こ、これだ!」そう、上田教授が研究
されている英語能がそのまま手話詩研究に応用、あるいは大いに参考になるはず
であると思ったのである。そして、それは間違いではなかった。上田教授が担当
しておられた「比較文化比較文学特講」における「世界の中の能」で実際に能と
いうものに触れたとき、至福の極みに至ったような錯覚にとらわれたのである。
実技で仕舞「熊野」「高砂」を学び、その中から精神的高揚を覚えたばかりでな
く、かねてから研究テーマにしていた手話詩との共通性を見出すことができたの
である。ここに日本大学大学院で学ぶことの意味と上田教授との出会い、そして
ゼミの仲間達との出会いに意味を見出すことが出来たのである。
 手話能の可能性を探りつつ、手話詩の言語学的分析、リズムの研究を進めてき
たが、手話詩の構造、リズムが明らかになるにつれ、ますます手話能の創作は可
能であるという確信を持つに至った。それらを総括して修士論文にまとめたつも
りであった。

【修士論文口頭諮問面接とその後・・・】

 苦しかった修士論文作成。ゼミの仲間達とe-mailで励ましあいながら1月14
日の提出日までずっとパソコンと向かっていた。ゼミの仲間からの励ましの言葉
がなければ、到底提出できなかったかもしれない。ゼミの仲間達には感謝したい。
また正月を返上しての上田教授との手紙のやり取り、e-mailのやり取りは論文を
作成する私にとって、とても心強く感じられた。
 そして、正本・副本を含めて4部作成し、1月14日に届くように1月12日
の朝、郵便局に出した。それから1月27日に日本大学会館(市ヶ谷)にて修士
論文口頭諮問面接を受けた。私はろう者であり、口頭諮問においては手話通訳者
を同伴することが認められていたので、手話通訳を介した面接を受けることがで
きた。私の論文は手話に関する論文であり、手話に見識の深い先生にも見ていた
だくことになっており、それを含め、いろいろ厳しい指摘を受けた。各々の指摘
は、もっともな指摘であり、論文を書き直すべきであると痛感した。更に二週間
の猶予期間が与えられたので、手話に見識の深い先生のところに行って指導を受
け、更に上田教授の指導のもとで大幅改訂を行った。わずか2週間であったが、
半徹夜を貫き通し(昼は仕事、夜は家庭サービスのため、実際に取り組むのは深
夜になってからであった)、なんとか満足の行く論文に仕上げることが出来た。
 この2年間における手話詩に関する研究、能に関する研究を経て、融合文学と
しての手話能へのステップとして、今回の修士論文という形で提出できたが、ま
だまだ手話詩研究、手話能研究は始まったばかりであると思っている。日本大学
大学院で過ごしたこの2年間は、実にこれからの人生においてのライフワークの
基盤を築けたように思う。私は日本大学大学院、そして特に上田教授に感謝の意
を捧げたい。

【番外】パソコンと仲良く・・・

 苦しくもあり、楽しかった、修士論文作成!トラブルが多発し、論文完成が危
ぶまれる事態に追い込まれたりしたが、得るものも多かった。特に、私の論文で
はドイツのハンブルク大学で開発されたHamNoSysという手話フォントを使うとい
う特殊なものであり、Windowsではなく、MacOS上でしか認識できないものだった
のである。論文完成のためにはMacOS搭載PC(PowerMacintosh)をどうしても使
わなければならなかった。当時、Microsoft社が出していたOffice98上で論文作
成に取り組んでみたが、うまくHamNoSysフォントを入力できなかった。修士論文
提出には原則としてWordファイルでの提出とあったからである。他のワープロソ
フトウェア(NisusWriter)で正常に入力できることが分かったため、指導教官
にお願いして他のワープロソフトでの作成を認めていただき、作成に取り組んだ。
順調に進んだと思えた論文作成だったが、問題が一つあった。論文にたくさんの
画像ファイルを使用するため、どうしてもファイル容量が大きくなってしまうこ
とであった。ファイル容量が17MBを越えた時点で、NisusWriterは「これ以上保
存できません」とエラーメッセージを出し、論文作成がこれ以上できなくなって
しまったのである。NisusWriterの製造元に問い合わせると仕様だということで
対応できないという返事(修正不可能の意味)が。途方にくれたところへ朗報が。
Microsoftが新しいOffice2001を発表したのである。Office2001を購入して、論
文作成を進めたところ、文字化けがひどい状態であり論文作成どころではなかっ
た。アメリカの友人のところでも同様の問題に遭遇しており、Microsoftに問い
合わせて調査したところ、HamNoSysフォントが特殊なフォントであり、そのため
にシステム全体に影響していることが判明。回避策をMicrosoftから教えてもら
い、ようやく論文作成に取り掛かることが出来たのである。そのときは既に12
月上旬であった。論文に画像を貼り付けていくとどうしてもファイルが大きくな
ってしまう問題があり、聴覚障害者コンピュータ協会が主宰しているメイリング
リストで回避方法を問い合わせてみたところ、画像ファイルをリンクする方法が
あるということを教えてくれ、ようやく本格的な論文作成に取り掛かることが出
来た。そのときは12月半ばにさしかかっていた。今回の修士論文作成は未開拓
分野への挑戦と共にパソコンとの孤独な戦いでもあった。ちなみに私のコンピ
ュータ暦は12年であり、Windows、MacOS、Unixにも使い慣れている。にもかか
わらず、このようにして苦労を強いられたのである。ここで得た教訓は、トラブ
ルがあっても必ず解決する道はあるということ、そして私が必要としているとき
に、必要なものが向こうからやってくるということであった。

 また、手書きの画像をパソコンに取り込むべく、スキャナを購入したが、実に
便利なものであった。上田教授からFAXでいただいた資料を論文に加えるときも、
スキャナが大活躍した。FAXで受信したものは解像度が低く、汚くなってしまう
のである。それをスキャナで取り込み、画像処理を施したところ綺麗になったの
で、文明の利器に感謝せずにはいられなかった。