「論文提出を終えて」

国際情報専攻 高橋雅明

著者紹介:
昭和38年北海道出身,現在は日本橋にあります証券会社勤務です。
趣味はスポーツ全般,とくに野球が好きで,また最近は運動不足解消も兼ね
月に2回位ハイキングに行っています。
もしご都合が宜しい方はぜひ一緒に行きましょう。とても気持ちがいいですよ。


今回の研究論文提出に関して、また色々な自己発見をしたようです。もちろんいい意味での発見ではありません。その発見および感想を多少噛み砕いてご説明いたします。

まずはスタート(時期)についてです。私は研究論文のタイトルを「企業至上主義からの脱却」として一応の提出を完了させましたが、実際に提出用として本文を書き始めたのが昨年9月に入ってからでした。

入学して研究論文の提出時期が明示されているのにもかかわらず(つまり約2年もの時間がある)、長期的・中期的・短期的どのレベルでの計画も立てられず、カレンダーの締め切りから逆算した仕上げぎりぎりの日にちから書き始めた次第です。これはレポート提出でも同じ事でした。不思議なもので取組んでいない時期を他の遊び等に振り替えていたと思われるでしょうが、実際の形は“遊んで”いても心ここにあらずで、案件が常に気になっていました。これは論文、レポートとも共通の状況でした。結果的には失われた時間は悩んでいただけであったようです。やらねばならない事を忘れさせてくれないのは人間がモラルを失わない為に備わった警告機能かもしれません。私としましてはギリギリ=プレッシャーも今回の大学院と一緒に卒業したいと願っています。

次に進捗状況です。スタート時は人それぞれ異なります。進捗状況もこれまた人により差があるものです。これは書き方によっても違ってきます。初めから順番に書き進めていく人、資料を充実させて短期間で一気に書き上げる人、とにかく書けるところから書いていく人など、持ち時間によっても変わりますが、私の場合はどちらかというと書けるところから書いていくタイプだと思っていました。これはいつも時間に追われ、限られた時間で“とりあえず”の完成を最優先させる癖がそのままついたのか、あるいはギリギリを未だに続けているかのどちらかで、自分では決して良い方法とは思っておりません。ただし、一度書き始めると「進んでいる」という実感が湧きますので、スタート時期が相応のものならばお勧めできる書き方ではないかと思います。話が多少それましたが、進捗というくくりでは実際に「書く」にはどれが自分にあっているかで決めたほうが良いと思います。その為には構想ではなく「実際」に書く時期をとにかく早くする事である。考える事と形に現すことは似て非なるものである。こう書くと違和感を感じる方もいると思います。考えなければ形にできないではないかと。しかし考えても動かなければ決して形にはなりえない。そして動けば考えなくても何らかの形になるものである。我々は考えを「形」で提出するのである。ですから実際に動く事が何より大切である。動きながら考えればいいのであって、何も考えないで動くことなんて所詮できないのである。また進捗に関してもう一つ大切なことは「刺激」である。これは他人との情報交換の中で自分自身の現在の位置を確認することである。「通信教育」は誰かから監視されているわけではないので、何もしなければあっという間に月日は経ってしまう。自主的に動く事の難しさは殆どの人々が理解しているはずであり、いつでも時間を有効に活用できる反面、時間の使い方がどうにでも変わってしまうのである。人間はやはり比較、競争する事によって張りあいや喜びが生まれる一面も持っているので、常日頃から他の学生との意見交換が自分の進捗状況をチェックする上で重要であると思う。

三番目に自分の年齢です。これは何歳だからどうのこうのというものではなく、私の場合、生涯学習のスタートとして日本大学の通信制大学院に入りました。と言うのはうそでして当初はキャリアアップの為に(つまり学歴を上げるため)に入学しました。ところがレポートおよび論文にとりかかり時間が経っていくうちに、決して苦痛ではないプレッシャーを感じ始めました。私は現在37歳で普通の会社員ですけども、会社では味わう事のできない「自分だけのプレッシャー」「自分だけの世界」があることに気が付いてきました。

楽ではないだけに「終わった爽快感」が味わえる自分を見つけました。私がこの項で「年齢」としたかは、無駄な時間を使って同じようなことを悩み繰り返していく時間がもったいないと感じ始めたからです。前に進む事はとても楽しいことです。時には悩む事も無論大切です。しかし、世の中覚えることは無限大に近いくらいあります。先ほどの何もしなければ月日は無常にも経っていくことは年月も全く同じ事です。懸命に取組めばたとえ人に評価されなくても自分自身の財産になるはずです。私自身、今まで何をしてきたか自信を持って“自分”に言える時期はごく短期間であることに気付かされます。

そんなこんなを考えますと、大学院は決して「終着点」ではないと思います。勿論それが悪いという意味では毛頭ありません。この大切な経験を次にまたは現在に生かしていきたいのなら、とにかく早く具体的に動く事だと思います。論文に関してはつまり早く書き始めることだと思います。懸命に取組むことの効用はそれによる新たな発見をいつも伴うことではないでしょうか。

以上が自分を反面教師とした私の率直な感想です。