「論文作成苦労ばなし」

国際情報専攻 澤田順夫

著者紹介:
高齢化社会における「情報による社会的支援」を研究テーマにしている。 これまで東芝総合研究所で情報・通信の研究をしてきた。 テーマはパターン認識,知識DB等。 3年前に定年(扱い)退職し,日本社会事業大学に学び,社会福祉士になった。 情報を社会的な面からとらえ直そうと,日大大学院で学んでいる。 趣味は旅行で一般旅行業務取扱主任者の資格をH8年に収得した。 現在,情報処理学会会員。


 テーマ・論文題目「高齢者支援のためのボランタリズム〜ブラジル・アルゼンチン
の日系社会に学ぶ〜」
 文化系と理科系とを区別するのは余り好ましいことでない。しかし、国際情報専攻
は政治経済分野をベースにしているようである。理学部数学科出身でコンピュータサ
イエンスの研究をしてきた者にとっては、理科系を意識せざるをえない。そこで、理
科系の研究者が苦労する立場を代表することにする。
 研究テーマを設定する時、一番問題になるのがオリジナリティの点である。30年間
程認知科学の研究をしていると、研究の流行とかくり返しのようなことが分かる。10
年毎に人工知能の研究のはやりすたれがある。その節目毎に研究が飛躍的に進歩し
て、その後停滞に陥る。そして主要な内外の論文誌に目を通していると、研究のオリ
ジナリティは見分けがつくようになる。そして、情報処理学会などで論文の査読行う
時には、評価が簡単に下せる。
 しかし、人文社会科学の分野では全くの素人である。自分の研究テーマに対して、
オリジナリティの判定が難しい。特に、歴史的な積み重ねがあり、どの程度の先行研
究があるかが分からない。そして、研究を進めていくうちに、自己の研究が既に手掛
けられたものと分かった時は、取り返しがつかない。研究中そのような煩悶は絶えず
つきまとう。そこで、その悩みを払拭するには、研究のポジショニングを上手に行う
必要がある。
 テーマを誰もまだ行っていないと確信が出来るところに設定するのである。それは
とりも直さず現在の自分しか出来ないことである。その確信があれば、研究に対する
取り組みに真剣になれるものである。
 どれ程のプロフェショナル性があるかを別にして、旅行業者の資格一般旅行取扱主
任者を持つ。そして、中南米を含めて数十ヶ国を旅行している。そのような経験か
ら、中南米の日系社会を対象にする。それが出来るのは、旅行業のノウハウと若干の
スペイン語の能力があるからである。
 次に、日系社会の研究はその社会自体で移民の歴史という形で研究されている。し
かし高齢者福祉に関しては、日系社会の内部でも先行研究は多くない。また日本側か
らはほとんどない。このようなポジショニングの結果、その社会調査のオリジナリ
ティに関しては問題がないと確信できる。
 研究ではないが日本の国際援助という形で、日系社会に対して高齢者福祉の援助が
行われている。そこで、援助という枠を越えて日系社会から学ぶという姿勢を設定し
た。この点は互酬性という点で国際援助を考える際に、非常に重要な観点を与えるも
のである。実際、社会調査を進めていく過程で、この学ぶという姿勢は好感をもって
迎えられた。
 論文に対してオリジナリティと有用性に重きを置き、その問題設定の範囲や取り組
みの難易は問題にしなかった。自分が理科系の論文を査読する場合、オリジナリティ
と有用性がないものは、「その」論文誌にふさわしくないとして採択してこなかった
からである。
 システムエンジニアSEという専門職がある。それはコンピュータの利用者にシス
テムを設計する仕事である。(ボランティアの)社会福祉士となり社会福祉のSEと
自分を位置付けている。介護保険で導入されたケアマネージャの支援システムを設計
する。あるいは、介護福祉で情報共有のためのシステムを考える。そのようなことが
自分に適している使命である。
 しかし、この研究では最初の電子マガジンで述べたように、情報による支援からボ
ランタリズムに変更した。そのために、対象は同じであるが、情報が後ろに隠れた。
そして、システム設計のためのニーズ調査から、介護を含む高齢者福祉のヒアリング
調査へと変わった。
 現地では日系二世のボランティアの方々と一緒に要介護の高齢者の訪問を継続し
た。多くは会話の相手であった。麻痺部分のマッサージや体位交換や車椅子への移乗
を援助したりもした。このような高齢者介護は、社会福祉士の施設実習以来の経験で
あった。しかし、これら自体は普通の高齢者介護である。論文の材料としては役に立
つとはほとんど考えられない。
 そこで週末に入植地などに行き、精力的に人的ネットワークを広げた。そして、出
来るだけ高齢者の集まるところへ出かけていった。それは、県人会やゲートボール大
会であったり、キリスト教の教会であったりした。また、集会ではないが養老院で
あったり老人ホームであったりした。それらの場で、これまでの日系社会で行われて
きた助け合いについて教えていただいた。
 それらの内容に対して詳細にメモを毎日作っていった。そのメモをインターネット
のメールで日本に送り、レスポンスが来るところを更に掘り下げていった。この社会
調査は後日まとめたものでなく、リアルタイムに近い形で進行していった。そしてレ
スポンスに対してまた掘り下げた内容をメールで送るという往復書簡の型で進めた。
 あるときは、逆に日本社会や組織の悩みをカウンセリングをするようなところも
あった。そのような心理的な葛藤の内容も、背景を日系社会あるいは南米社会に移し
て論文の材料にした。論文の具体的なテーマは幾つかに別れ、それぞれ有る程度独立
している。そのようなテーマをブラジル・アルゼンチンの日系社会について十程度作
成した。
 日本に帰国してから、それらをまとめる意味で日系社会から学ぶという位置付けの
第三章を作成した。そして、テーマに併せて結論を付け加えた。結論部分は従来から
のくり返しである。しかし南米日系社会の社会調査を行うことにより、少し進展がみ
られた。
 後の作業は、論文のスリム化である。最初に叙述する時にはなるべく多く盛り込む
ようにした。後から足りない部分を補強するのは多大の労力を必要とする。それに対
して、スリム化をはかるには、若干の言い回しの変更はある。基本的には削除である
からエディタで容易に行える。まず、第一章のボランタリズムについてを半分程度に
圧縮した。特に直接引用が多い部分は、まるめた表現にして量を減らした。特に、列
挙してあるところは、論旨に大きな影響はないのでキーワードだけにした。
 その後で、英文のアブストラクトを作成した。これはダイレクトに書き下した。
 次に、第2章の社会調査の部分で日系社会など重複して出てくる内容は全面的に削
除した。そして社会調査の場に出てくる必要最低限度に留めた。この部分も結局スリ
ム化の一環と言える。このようにして、一章、二章の大部分は全体を書き終えてから
全面的に手を入れて、内容のコンパクト化をはかった。
 最後に日本語の論文要旨を作成した。これは英文のアブストラクトとは全然別のも
のである。書き残した部分は時間の許す範囲で、帰国後資料を調査し書き加え追加し
た。