「感謝の詞−修論作成を振り返って−」
国際情報専攻 大槻洋子 著者紹介: 現在,金融機関に勤務しております。激動する業態にあり, 日ごろ感じている事・考えている事を学問的な裏付けをもって自分の言葉で まとめたい,というのが入学の動機です。 様々な方からいろいろ刺激を受け,新しい発想のヒントを得られるのでは, と期待しております。 |
国際情報専攻2年、大槻洋子です。この度、「わが国の退職給付制度−わが国の雇用関係の変化と受給権の保護を巡って−」というテーマで、無事修士論文を提出することが出来ました。私の場合、締切日までの郵送では間に合わず、所沢のセンターまで持参。東所沢までの武蔵野線の電車の中で、それまでご指導・協力くださった多くの方々への期待に応えきれなかったのではないかとの反省と悔しさで思わず涙しましたが、提出後しばらく経ってようやくその解放感に浸っています。私が、論文を書くことを思い立ち、何とか形あるものにするまでを振り返ってみたいと思います。
私は、投資顧問会社に勤務し、お客様への運用商品のご案内、契約受託後には運用状況の報告を担当しております。担当するお客様はほとんどが企業年金であり、当然企業年金制度を巡る様々な変化、今後の企業年金制度のあり方について以前より問題意識を持っていました。また、前職がアクチュアリー(企業年金の制度設計等を行う専門職)のアシスタントであり、企業年金制度を財政側(制度側)からも若干理解していたこともあって、企業年金制度を巡る問題を目先の変化だけではなく、その本質から捉えたいという希望も強く持っていました。しかし、年金制度そのものが複雑であること、様々な変化が制度に大変大きな影響を与えていること、しかもその変化が急激なものであることから、自分自身の言葉で語ることが出来ないもどかしさに悩んでいました。「自分の言葉で自分の考えをまとめたい」と思っているところに、通信制大学院が認可されることを知りました。大学院という枠組に自分を投げ入れることで、論文に取り組むことが可能となるのではないか、と入学を決意したのです。
しかし、通学の義務の無い通信制大学院とはいえ、仕事や家庭との両立は厳しいものがありました。特に2年間の在学中には、会社の合併もあり、担当業務が拡大、プライベートでは反抗期真っ只中の子供との攻防もあり、学業の計画を立てても予定通りに進めることができず、精神的にも時間的にも辛い時期がありました。「論文を書くために大学院に入学した」という当初の目標を失うことはありませんでしたが、果たして論文など書けるのだろうか、まとまったものができるのだろうか、という不安に悩まされました。
実際、取り組んだテーマ「受給権の観点からわが国の退職給付制度を考える」への具体的な切り口を見つけることも出来ないまま、1年以上があっという間に経ってしまいました。退職給付制度を巡る動きは目まぐるしく、大学院在学中も新聞紙上には様々なニュースが取り上げられています。ますますの規制緩和、確定拠出年金法案の提出、企業年金法(仮)に向けた取りまとめ、代行返上を巡る議論、異常なほど上昇した後下落した株式市場、等々。次々と出てくる問題の一つ一つに引っ張られてしまうと、全体を考える視点を失ってしまいます。何かを芯にして考えていかないと、と焦るばかりでした。そんな時に出会えたのが、久保知行氏の『退職給付制度の構造改革』(東洋経済新報社、1999年)でした。久保さんは、私も所属する日本アクチュアリー会の大先輩であり、内外の企業年金制度に関する著作を多く手がけ、この論文で多摩大学から博士号を授与されています。退職給付制度について受給権を核として考え、受給権保護への提案を行っているこの論文は、私にとって大変参考になると同時に大きなショックでした。既に、これだけの論文に纏め上げている方がいらして、しかもその経験・知識の差は大きすぎる。しばらくの間、論文に取り組む意欲すら萎えてしまうほどの激しいショックを受けました。ようやく、気持ちを取り直し、知り合いの方を通じて久保さんにコンタクトを取ったのが、2000年の5月です。久保さんの本を手にしてから、半年以上が経っていました。6月の多摩大学での博士論文の発表会にも参加させていただき、多くの示唆に富む意見もいただきました。
その後、それまで漠然としていた問題意識を3つの課題に絞りました。@企業が退職給付制度を保有する意義は何か? A確定給付型年金(DB型プラン、従来の退職給付制度)と確定拠出型年金(DC型プラン、米国の401(k)など)は対立するものであろうか? B受給権保護の必要性はどこから言えるのだろうか? これらに対する自分なりの解答を求めていこう、と決意しました。また、様々な文献を読み、関係する方々の意見をいただく中で、次のような知識の整理を行いました。@わが国の企業年金制度はそのほとんどが退職一時金から移行されたものであること。それ故に欧米の企業年金とは異なる性格を持っていること。A退職給付制度を巡る様々な変化(規制緩和、受託者責任の明確化、退職給付会計の導入等)はその各分野から考えれば正常な方向への動きであり、その変化が退職給付制度の本来持っているリスクを顕在化させたこと。B退職給付制度を人事戦線略のツールであると考えるのであれば、多様化しつつある雇用形態と同様、今後は多数のメニューが必要となるであろうこと。 そして、具体的に課題への切り口を、@従業員と企業との関係から退職給付制度を考える。A退職給付制度に内在するリスクを分解し、その負担者を明らかにすることで受給権を考える。と決めたのは、もう秋になっていました。
章立てを再構成し直し、それまで部分的に書き散らかしてあったものを一部は各章に割り振り、一部は書き直し、ほとんどは新たに書き始める作業が本格化したのが、11月。その間にも、友人からケーススタディとして自社の処遇制度見直しを取り上げる提案を受け、インタビューを行いました。実際に人事担当者の話を聞いて実感したのは、退職給付制度の様々な問題を一気に解決する方法は無く、おそらく多くの企業において、従業員との関係をどう方向付けるか悩みながら制度を模索しているということでした。
11月には悪性の風邪に悩まされ滞りがちだった論文作成も、12月に入るとさすがに本格化しました。とは言っても、平日は仕事や家事に追われほとんど進まず、土日それも溜まった家事を片付けてからの時間がまとまって取り組める時間です。実際は、土日に書いた部分を印刷して、平日にチェックするという繰返しでした。その頃には、私が通信制大学院で退職給付制度についての論文を書こうとしている、ということは周囲の人の知るところとなり、関心を示し協力を申し出てくれる人も出てきました。と言うよりも、周囲に自ら白状し協力を強要したと言った方が正確かもしれませんが…。制度面から内容を確認してくださる方、論理展開の矛盾を指摘してくださる方、誤字・脱字のチェックをしてくださる方、本当に多くの方に協力をいただきました。指摘していただいた問題点の一部は、今回の論文に反映させることが出来ず、長期的課題として預かったままになっています。
これら多くの方の協力のおかげで、何とか論文という形にまとめることができたと感謝しています。しかし、彼らの期待に十分に応えることができたのだろうか、との反省もあり、それが冒頭の情景となります。今回の論文を、私の問題への取り組みの一里塚とし、今後も継続して考えていくことで皆さんの期待に報おうと、自らを納得させています。一里塚としては、まあ、合格点をやってもいいかな、とも思っています。
先日、小松憲治先生の1・2年生合同ゼミがあり、2年生が修士論文の発表を行いました。残念ながら、業務の関係で一部しか参加できませんでしたが、今回の発表会はこれまでのゼミにおけるそれぞれの進捗状況の報告会とは大きく内容面で異なるものでした。自らまとめた研究を報告し、質問に回答する、その自信あふれる様子に感動しました。私自身がそれだけの発表が出来たかは不安ですが、単に問題意識を持っている段階と、自らの考えをまとめ論文を書き上げる段階とは大きな違いがあることを、改めて認識しました。曲がりなりにも論文としてまとめることが出来たのですから、この経験を途切れることなく活かしていきたいと思います。それは、ただ漠然とした問題意識を抱えているのはなく、自ら調べ、場合によっては知識と協力を人に求め、自分自身の言葉でまとめることを繰り返すことでしょう。この2年弱の自分自身の実際の取組み状況を考えると、難しいことだと思いますが、是非心がけたいと思っています。
大学院内外を含めた多くの人と出会えたこと、論文を書くという意味を知ったこと、これが大学院における最大の収穫でした。ありがとうございました。1年生のこれからのご健闘をお祈りいたします。
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