「20世紀の遺産

国際情報専攻 橋本信彦

著者紹介:
レモンライムの飲料水が好きです。初夏と呼ばれる季節も大好きです。
いろいろなことに興味を持つ、そしてそれらに対して急速に興味を失う、こんな
ことの繰り返し。けれども向かう意欲だけは、失うどころか旺盛になってきてい
ます。夏の暑さがうっとおしくなったとき、たぶん、そこが分岐点になるので
しょう。


 橋本元三郎、父の名前です。父は昭和20年にマッカーサー暗殺計画を企てた首謀者だったそうです。いきなりこんな話を聞かされたら驚きますよね。暮れも押迫った晦日前日、姉から電話がありました。「信彦、『文藝春秋』読んだ」と、私は忙しくてその月の新年特別号をまだ読んでいません。「とにかく読んで」と、いつになくきつい声で私に告げると、電話が一方的に切られました。

 『文藝春秋』2001年1月号・徳丸壮也・「幻のマッカーサー暗殺計画」P298、目次をみると、確かに姉の話す記事があります。読み始めました。懐かしい名前がでてきます。生前、父がよく話をしていた人物や出来事です。読み進むうちにいきなり父の名前が出てきました。私は、父が内閣技術院で、無反動ロケット砲やOR(戦時統計手法)の研究を進めていたことはよく知っていました。しかし記事のなかの父は、なんと技術院スタッフの先頭にたって、マーカーサー将軍の暗殺を企てた首謀者にされています。

 記事の中では、戦中・戦後における父の行動が詳しく書かれています。追い討ちをかけるように記事の最後には、父が戦後に鉱山事業を始めたおりに、伊達(宮城県仙台市)の殿様の末裔を、安酒で死に至らしめたとの記事までありました。さらにその後の父は不運続きで、以後消息をたって行き方知れずになったとまで書かれています。私は読み終えたあと、しばし呆然としてしまいました。いったいなんで、そのような記事になるのだろうかと。

 私は末っ子です。6男4女、10人兄弟なので上の方の兄弟とは生活をともにしたことがありません。兄や姉たちは、私以上に記事に書かれた時代の父を知っており、当然憤慨していると思っていました。正月に長兄の家に集まった際、当然この件が話題になります。しかし、兄たちは私の予想に反し、抗議するべきだと主張する私に「ことを荒立てることはするな」と。

私は酔って騒いでいる兄たちが気に入らず、うつむいて話題に入ることを拒否し、妻と二人早々に退出しました。 結局、私は兄たちを無視し、文藝春秋編集部に抗議のメールを送りました。文藝春秋からはメールを受け取った旨の返事がきましたが、以後はなんの連絡もなし。姉の子供で、私とともに大いに怒っていた甥が、直接編集部に行き、ライターの徳丸氏を含め編集部員との間で話し合いをしました。父の同僚であった他の技術院スタッフの証言は一切無し、一人の偏った証言のみで決めつけるのは間違っていると。

 『文藝春秋』2001年3月号、巻末のわずかなスペースに、遺族からの反論として小文が掲載されています。送った原稿も、まるで戦時中の検閲のごとく、先方にとってのまずい部分は削られています。巻末の、虫眼鏡で見なければ読めないような小さな活字のあの小文を、いったい何人の人が読むのでしょうか。むなしさが残ります。

 父は4年前に他界しました。事実を確認することはできません。広告会社の役員を辞して以後、憧れの鎌倉に居を移し、大勢の子供と孫に囲まれ、幸せな後半生を過ごせたのではないかと信じています。もう一度父に会いたい。いま、切に感じます。