「ユリシーズの涙」


ロジェ・グルニエ著/宮下志朗訳みすず書房2000年発行2,300円)

 世の中に犬の好きな人は多い。家から一歩出れば犬を散歩させている人を見ない日はないし、犬を連れて公園へ散歩に出かければ、たちまち散歩中の犬たちが集まって社交場が出来上がる。犬同士がおしりの匂いをかぎ合って"ご挨拶"したり、じゃれて遊んだりしている間に、飼い主の方でも「お宅はオスですか?」とか「うちのはもうおばあちゃんで・・」とか、"犬談義"に花が咲く。犬の前では、年齢も、職業も、どんなに大きな家に住んでいるかも関係ない。どんな飼い主もみな、犬好きの仲間になる。
 雨の日も雪の日も散歩に行かなくてはいけないし、糞尿の始末にも追われる。海外旅行に家族揃って・・なんてことも犬のおかげでおあずけになることだってある。それでもなぜ犬を飼うのか、どうして人間はこんなに犬が好きなのか、どうして種属の違う犬と人間はこんなにも固い絆で結ばれるのか。「犬は群れで生きる動物だから・・」とか「牧羊犬、狩猟犬など、人間のために犬が働いてきた歴史は長く・・」とかそういう堅い話は抜きにして、純粋に人間と犬が惹かれあって生きているという事実と、その感動、そしてそれは、フランスという文化の異なる遠い土地でも、今も昔も同じなんだ、という熱い思いを湧きあがらせる内に秘めた迫力が、この本、『ユリシーズの涙』にはある。

 人間は犬をどんな存在として考え、どんな風に生活を共にしてきたのか、犬を通して人間は何を見てきたのか・・『ユリシーズの涙』は、文学や歴史の中で生き続けている犬たちを通して、私たちの語りかける。こんな一節がある。「無用の犬こそが、友情や愛情のやりとりにふさわしい存在なのだから。」
 『ユリシーズの涙』に収録されている43編のエッセーの中で描かれる犬たちやその犬を取り巻く人間たちとを、私たちと重ね合わせながら読むとき、時代を超え、場所を超越し、人間が犬に求めているものは何なのか、ということに思いをはせずにはいられなくなる。そして、手が掛かるばかりで、一見何の得にもならない「無用」の存在である犬に私たちが惹かれてしまうのは、実は、無用であるがゆえなのではないのか、そして、無用なものこそ私たちが追い求めてやまないものなのではないか・・犬を通じてそんなことに思いを到らせてくれる、そんな一冊である。

人間科学専攻 小田史子