公開討論会無事終了
国際情報専攻 日下田 伸
楽しい学生生活?
十年ちょっとぶりに再び「学生」という身分を手に入れた。しかし、この「通信制」という仕組みの都合の良さそうなところばかりを考えてチョイスしてしまったことに入学早々気が付いた。小学校時代から宿題忘れ(放棄?)の常習犯で、大学でさえアノ手コノ手を駆使して要領だけで卒業し、ついでに就職までバブルの波に乗って楽をして…という調子でここまでやってきた私ような人間には、自分でテンションを維持して課題をこなすなんていうことができるんだろうか?だいたい、そんな非優等生が今さら大学院生になろうなどというのが間違っていたのかもしれない。
でも、考えてみたら「勉強好きの優等生」ではなかったかもしれないが「学校」は楽しくてしょうがなかった。それで、また学生生活をはじめたのである。果たして、楽しい学生生活は実現できるのか…?
実際、文献めくりとキーボード叩きばっかりでは緊張感を維持するのに限界がある。先生とのネット経由のコミュニケーションは多くの示唆をもたらしてくれるが、そのペースを保つのも容易なことでない。それに、「学生生活」としては何かモノタリナイ…。
そんな私にとって、7月に実施された国際情報特講T前期スクーリングは、はじめて本格的に同じ専攻の仲間と顔を合わすことができ、オフラインの講義をともに受け、ディスカッションしたり、いろんな話しができたことはイイ刺激を与えてくれた。
社会人を中心にした大学院なので実に様々なバックグラウンドを持った人たちが集まっていて、しかも学際大学院であるので国際情報専攻といっていてもそれぞれの関心も多様である。これだけのキャラクターが揃っているのだから、集団としての魅力をもっと発揮できるのではないか、そして、個々の研究成果だけでなくみんなで取り組んで共通の成果を得ることができるようなアプローチはないかというのが、この討論会を志向した発端だった。
近藤先生の了承を得た「言い出しっぺ」3人組がメールを通じて、討論会のテーマ案を出し合ったり、時にはディスカッションルーム(DR)での議論からヒントを得たりしながら検討を進めてきた。そして、あっと言う間に10月に至り、よくよく考えてみたら我々の勝手な思い込みばかりで検討してきたが本当に他の学生の支持が得られるのかどうかがダンダン心配になってきた。
研究科共通の議論を
「討論会をやろう!」→「じゃ、テーマは何だ?」という単純な思考でいたのだが、果たしてそれで「崇高なテーマ」さえ決まれば討論が盛り上がるのかというとそうではなさそうである。
我が研究科には貴重なコミュニケーションチャンネルとしてDRが用意されているので、この場を活用して討論会の前段の議論をしようというのは当初から考えられていたが、いかんせんフリーディスカッション自体がなかなか盛り上がっていない。そこで、思いついたのが、「勝手に前期スクーリングをフォロウアップ!」ということで、前期スクーリングで400字作文の課題として与えられた「日本語の現状と将来」を元にして討論を行おうというものである。これなら、一度は短時間でもキチンと考えたことがある内容なので多くの人が発言し易いだろうと考えた。
しかも、ちょうど良いタイミングで「電子マガジン第1号」が発刊され、スクーリング受講生の「日本語の現状と将来」についての400字オピニオンが掲載されるので、前期スクーリングを受けていない人や他専攻の人にもこれを読んで貰えばこの話題に加わり易くなる。
そして、もう一つ重要なのはこの討論会が国際情報専攻者向けのスクーリングの中で行われるが、他専攻の人にも関心を持ってもらいたいし、出来れば議論にも加わってもらいたいという願いもあったので、「日本語」という切り口であれば全専攻共通で議論できるということである。
さらに、大学側の理解によってこの討論会がネット中継されることになった。これで本当に、単なる一専攻のスクーリングとしての議論ではなく全学生がこれをリアルタイムできるようになった。もちろん、総合社会情報研究科内だけでなく広く社会に発信されることになったのである。
ここまで考えが煮詰まってきて、「電子マガジンを読んでもらう」、「DRで議論する」、「討論会で議論する」そして「ネット中継でみんなにみてもらう」という一連のメディアミックスが完成する見通しになった。
いよいよ…
本番2週間前、いよいよDRに「言い出しっぺ」のひとり村上さんから書き込み。討論会の実施とDRでの議論を呼びかけた。私もそれをフォロウしたが、後が続かない…。それでも、1週間前ともなると国際情報専攻者だけでなく他専攻の方からも書き込みを貰えてなんとか、当初の目論見通りに軽くウォームアップ。
18日15時半、いよいよ討論会が始まった。構成としては、私のほか、星さん、村上さんから問題提起を行い、それから電子マガジンへの寄稿者から意見を紹介してもらってから自由討論に入る流れだったが、自由討論に入ってからスムーズにみんな発言してくれるかどうかがまだまだ不安だった。
問題提起一番手の村上さんからはこのDRでも話題に上った方言について、星さんからは明治維新から今日に至る日本人論にまで言及して頂いた。私からはIT時代の日本的コミュニケーションの可能性についてまで話題を広げ…、この段階ではとにかく予定通りの時間を消化することを念頭にプレゼンテーションの質よりも私のパートを見込み通りの時間まで引きのばすことに専念していた。
電子マガジンへの寄稿者である中島さん、徳永さん、新谷さんからそれぞれのご意見を紹介してもらっていよいよ自由討論へ、今度は前期に出席しなかった人を中心に話しを聞いていった。そして、当初の心配をよそに、日本語として守るべきものと望ましい変化のかたち、そしてそのための態度についていろんな意見が飛び出してきて、むしろ時間が足りなくなるくらい積極的な発言を得ておおいに助けられた。また、かえって意見を伺うことが時間的にできなかった方に申し訳なかった。
最後は人間科学専攻の佐々木先生に、多岐に渡った日本語に関する議論を的確に整理して頂き無事討論を終えることができた。話し足りなかったり、問題を投げかけただけで終わってしまった感もあるが、こうした議論の時間を持てたことが成果だといえる。そして、この成果をこのあとどう発展させるかが課題である。今後も、この「日本語は変わったか?」という議論や討論会という取り組み自体、専攻を超えた連携の可能性などをDRで議論したり、電子マガジンでフォロウしていきたい。
私個人としては、「日本語」を切り口に「コミュニケーション」や「IT」について問題提起のなかで言及したのは、単に「議論のための議論」ではなく通信制大学院という発展途上のコミュニティの一員としてIT環境下でのコミュニケーションのあり方を自らの問題として考えたいと思ったことが根底にある。
大学院のカリキュラムや既定の仕組みなかで淡々とやり取りするだけで「大学院」に相応しい成果を生み出せると思えない。通信「教育」ではなく「研究」課程としてもっと刺激的なコラボレーションの可能性を探りたい。
ネット中継の視点から
インターネット通信制大学院ならでは取り組みとして実施したネット中継は、アクセス総数138、同時アクセスは最大15だったとのことで、連続視聴者はそう多くないもののそれほどの広報していない割にはまずまずの成果だと思っている
私の聞いた範囲では、RealPlayer 8のダウンロードが上手くいかなかったなどで受け手側の技術的・環境的問題から残念ながら見ることができなかった例がいくつかある。また、ある程度のパフォーマンスの環境下での視聴でも画像や音声の乱れがあったなどの技術的な問題も指摘されている。
なるべく多くの人に容易かつ快適に、ネット中継を楽しんでもらうための工夫や努力はまだまだ必要だと思われる。また、そのためにも視聴者側からのフィードバックが欠かせない。現実には技術的な問題は大学側に負う要素が大きいが、自分達の研究科にとっての重要なインフラのグレードアップには学生側も積極的に協力すべきだろう。
またネット中継としての「見せ方」即ち、演出や構成に関しても今回の内容が充分であったとは言えない。例えば、冒頭の問題提起のパートでは各スピーカーの話しが始まるまでの段取りの間がかなりあって、モニターを通じて見ていた人はイラついたり音声の通信トラブルかと思ったのではないだろうか。この他にも、実際にやってみて気付いたことは沢山あり、ビデオなどでチェックすればもっと多くの課題が明らかになってくるだろう。
ただし、ここで問題になってくるのはどこまでの完成度が必要でそれに投じるマンパワーとのバンランスをどう考えるかである。つまり、モニターを通じて、動画・音声を伝える点でついテレビ番組に基準をおきたくなってしまうが、テレビのように制作・演出にエネルギーを投じるべきかどうかは判断が必要になってくる。むしろ「荒削りで、生々しい」ものでも発信できることがインターネットの魅力でもある(最低限のモラルを守れば)。
今回の中継では、技術面は大学の情報センターから3人の方に協力して頂いた他、演出・構成は我々学生自身で行った。これが、テレビならディレクターがいて、ADが何人もいることでスムーズかつスマートな番組がモニターを通じて送り届けられるが、素人の自作・自演では自ずと限界がある。あくまでも授業なので、学生のなかから演出専任要員を割くのは本末転倒だし、これ以上の人的負荷を大学に望むのも無理がある。
この国際情報特講Tのスクーリングの一環として行われた討論会のネット中継は、インターネットという新たなメディアを通じた発信方法の実験としての意義が大きい。インターネット大学院のツールとして、ネット中継を現実的な労力で必要充分な演出・構成で実施するためのソフト面のノウハウを確立する取り組みが始まったところだといえる。
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