「犬が教えてくれること」

人間科学専攻 小田史子

著者紹介:
東京都内のコンピューターソフト開発会社に勤務しています。本業は、コンピューターエンジニアですが、犬のしつけや問題行動治療に興味があり、大学院では行動分析学の理論を用いた犬の行動変容について研究しています。今年の8月、自分の知識をより多くの犬の飼い主さんに役立ててもらおうと、ホームページを立ち上げました。最近では飼い主さんたちの悩み相談にお答えすることも多くなり、自分の知識がどこかで役に立っている、という喜びを感じると同時に、日本中の飼い主さんと犬たちの様々なケースに触れる機会に恵まれ、貴重な勉強の場にもなっています。・・・ということで、どちらが本業なのかわからない今日この頃です。


一昔前まで、犬と言えば家の外に鎖でつながれていた。知らない人が家に近づくとワンワン吠えて、番犬としての役割を果たした。1日に何回か散歩に連れて行ってもらい、人間の食べ残しのおこぼれをもらう、そんな生活が普通だった。

 最近では、多くの犬が屋内で飼育されるようになった。たとえ庭のある一戸建てに住んでいても、犬は家族の一員として、家庭のぬくもりの中で過ごす。犬にはもはや「知らない人にワンワン吠える」番犬としての役割は必要なく、その代わりに、飼い主が疲れて帰ってきたときに「お帰り!待っていたよ!」と無邪気に尻尾を振り、ストレスの多い現代社会に生きる人間を純粋なまなざしで癒す、そんな存在であって欲しいと期待されている。

 この十数年の間に、犬は「番犬」から「コンパニオンアニマル(伴侶動物)」へとその役割を大きく変えた。しかしながら、その変化に人間はついていっているだろうか?

 日本より10年早く犬にコンパニオンアニマルとしての役割を求め始めた欧米では、犬と飼い主が一緒に参加できる形式のしつけ教室に参加するのが普通になっている。そこで飼い主は犬との接し方を学び、犬は飼い主自身の手によってしつけられる。欧米では犬と一緒にレストランやカフェなど公共の場へ出入りすることが許されていることが多いが、その一方で、犬も日本よりずっと厳しくしつけられている。

日本では、トレーナーに犬を預けてしつけてもらう飼い主がまだまだ多い。これでは飼い主が犬をどのように扱えばいいのかを学び、練習する機会がない。何かの縁でめぐり合った飼い主と一匹の犬とが、共に苦労しながらお互いをより良く知ることができるようになること、飼い主が自分の犬をコントロールする術を徐々に身につけ、それに連れて犬がだんだんと飼い主の言うことを聞くようになっていくという過程は、最も苦労の多い過程であるが、その一方で、これこそが犬と生活をする醍醐味であるとも言える。日本では、自分の子どもが通う学校に「勉強は家で教えるから、学校ではしつけをしてください」と言う保護者がいるという話を聞いたことがあるが、「いい子にしつけてください」と自分の犬を訓練士に預けてしまう日本の飼い主と、どこかしつけに対する考え方に共通しているものがあるような気がしてならない。

犬は常に群れの中の序列と自分の位置を気にする動物である。家庭犬では、飼い主が群れのリーダーであり自分はその下に位置している、と理解させることが重要になる。飼い主自身の手によって犬をしつけることの重要性はここにもある。犬をしつけるとは、すなわち、飼い主が犬にとっての良きリーダーになる、リーダーであり続ける、ということを意味している。

日本の政治家にはリーダーシップがない、と言われて久しいが、どうも日本人には、「リーダーになる」ということがわかりにくいらしい。日本人にとってのリーダーとは、絶対的な権力者であり、リーダーとしての魅力があるかどうかはあまり関係ないようだ。そのせいか、犬に毎日えさをあげ、力でねじふせれば、自分がリーダーであると犬が認め、何をしても、何があっても絶対服従するはずだと信じている人が日本にはとても多い。

犬にリーダーだと認めてもらうためには、魅力あるリーダーになるための、そしてリーダーであり続けるための努力が必要である。やさしくて、公平で、一貫性があって、頼りになって、いつでも適切な命令を下してくれて、正しいことは誉め、間違っていることをすれば正してくれる・・。そして、これは犬だけではなく、人間にとっても良きリーダーなのではないだろうか。

犬との生活は、人間に安らぎと楽しみを与えてくれる。またそれと同時に、多くのことを教えてくれている。