「最後の幕臣 小栗上野介」


星 亮一著中公文庫2000年発行571円)

故司馬遼太郎がNHKテレビの『明治という国家』と題した番組で「維新を躍進させたのは風雲児坂本龍馬、国家改造の設計者小栗上野介、国家という建物解体の設計者勝海舟、新国家の設計助言者福沢諭吉、無私の心をもち歩いた巨魁西郷隆盛の5人であり、明治の偉大なファーザーである」と語った中のひとり、小栗上野介の晩年の物語である。

国家改造の設計者とまで言われた小栗上野介とはどのような人物か。

司馬遼太郎があげた明治の偉大なファーザー5人の他の4人ほどには知られてはいないが、幕府の中枢の能吏として活躍している。

この物語は大政奉還後に失脚し自ら領地の権田村に引きこもるために、江戸を去るところから始まる。

アメリカに渡り異国の地で日本の将来を考え、富国強兵こそ国家が生き延びる道と横須賀製鉄所や横須賀海軍工廠をつくった人物だが、権田村に隠退した後は世間の情報から疎くなり、また自ら情報を求めることもせず、わが身に迫る危機を感じなかった。その最後は余りにもあっけない。老母や妻女を会津に逃がしたものの自身は薩長軍によって非業の死を迎えてしまった。

小栗は隠退した身を薩長軍は不問にするとでも思っていたのだろうが、小栗の実力を知る彼らには実際以上に大きな存在であったに違いない。それ故、どうしてもなんらかの罪をきせてまで斬首しなければならなかった。

逃避行を余儀なくされた妻たちの会津までの行程は難儀を極めたものであったが、戊辰戦争後の会津から江戸へ上り、やがて静岡に落ち着き小栗家を再興することになる。

それにしても著者が述べるように幕府が崩壊すれば旗本ではなくなり領地もなくなったはずなのに、そこまで考えが及ばなかったこの有能な官僚に疑問が残る。幕閣の中枢で他に人がいないからと何度も任用されながら辞任(解任?)を繰り返した「あきらめの早さ」や「とことんやり抜く姿勢がなかった」と思われることとあわせてこの人の限界を感じる。

ただし、小栗上野介の幕末における業績は故司馬遼太郎に「国家改造の設計者」と言わせるだけのものはあった。その源は新見豊前守正興を正使とした遣米使節の監察として体験したアメリカにある。

こうした小栗の事跡や行動は星氏の前著「小栗上野介 物語と史蹟を訪ねて」(1999年、成美文庫、762円)に詳しく書かれている。

国際情報専攻 三浦 悟