マレーシア旅行記
「マレーシア〜旅のかたち〜」
国際情報専攻 斎藤俊之
著者紹介: 職業は、地方公務員です。趣味は、旅行かな。 |
複合民族の国マレーシア。今回は、ペナン州へ日本企業の活動を垣間見ようと国際情報専攻の鈴木佳徳さんと出かけた。1970年代以降集中豪雨のように、日本企業は東南アジアへ活動の拠点を求め飛び立った。大企業の工場が移転すれば中小企業もそれに連なって現地へ飛び立つ。マレーシアペナンにも大きな工場団地が6箇所あり、日系企業が生産活動を展開している。
旅のスタンスは十人十色。日本人の一般的な型は、係員に連れられて、滞在する都市の遺跡や買い物店をまわり食事をして解散というのが一般的であろう。
しかし、今回とった我々の手法は違う、ツアーでもなければ係員もいないフリーな旅である。よって、滞在プランがしっかり出来たツアーと違い下手をすれば、貴重な滞在時間を無駄に過ごす確率が非常に高い。
2000年8月15日我々2人は、ペナンの地に足を踏み入れ行動を開始した。
出発前に、ペナン在住のメール仲間に現地の状況や交通手段について問い合わせをすると、「バスはいつくるかわからない、時刻表がしっかりしていない又行き先がマレー語のため日本人向きではない。唯一の頼りは、表示番号だからタクシーがお薦め」というアドバイスをもらっていた。なるほど、タクシーは見つけやすくそれほど高くない。目的地まで直行だから渋滞さえなければ時間を気にしなくて良いというメリットがある。しかし、私は、どうもしっくりしなかった。なぜなら、旅行先で何気なくお金を使っているのがホテルから目的地間の交通費と三食の食事代に違いなく、いくら、日本よりも安いからとはいえこの部分をいかに抑えるかが自分の小遣いを他のものへ分配できる唯一の節約だと考えていたからだ。また、それにもまして今回は、現地の人と触れ合うためにも現地に近いスタイルで食事と移動は心がけたいと強く思っていたからだ。
マレーシア・ペナンにおいて、タクシーとバスとでは料金におよそ10倍以上の開きがある。滞在地のフェリンギ地区からジョージタウンの繁華街まで、タクシーで約20MR(約600円)、バスは1.6MR(約48円)だ。タクシーは最大乗車人数4人乗って割り勘にしても一人150円だからバスの方が断然安い。ペナンも車が普及しているものの現地の人にはまだまだ高い買い物であり一家に一台とはいかない。タクシーはとにかく多い。しかし、料金を見ればわかるとおり庶民の足は、断然バスだ。
今回、訪問する工場は、ペナン島内ではなく対岸に位置する本島港湾にあるプライ工業団地内にある。ここまで、ホテルのフロントでタクシーの相場を聞くと約70MR(2,100円)。2人で割勘にしても1,050円だから日本と比べればそんなでもない。しかし、私はあまり気がのらなかった。鈴木さんは、タクシーを希望していたようであったが、乗り継ぎながらもバスで行ってみようと強行させてもらった。(強気の私も実は、バスに乗るのは初めてであり全くの素人なのだった。)コースは、ホテル前からフェリー乗り場までバスで行き、そこからフェリーで海を渡る。今回訪問する工場は幹線沿いになく、入り組んだ所のためフェリー到着場所からはタクシーを利用するという3種類の組み合わせで行くことにした。フェリーにいたってはペナン島から本島へは無料だから非常にうれしい。バスが1.7MR、タクシーが10MR(5MR/人)しめて一人あたり6.7MR(約200円)だった。
工場に着き、挨拶の中でこの交通手段を話すと、「これまでそんな方法で来る来客者はなかった」と驚いた。現地に住む日本人ですら車かタクシーの利用であり、生活でもフェリーにはまず乗ったことがないという。ヒアリングと工場見学を終え、工場長H氏のはからいで日本人従業員の方々を集め昼食会を開いてくれた。そんな会食の中で、H工場長は10年も住んでいて思うことがあると切り出した。「ここにいる日本人は現地の生活に溶け込んでいないような気がする」と。私は、気になった。H工場長は続ける「仕事場と住まいとの往復。住まいのアパート棟は日本人ばかり。だから現地の人との接触時間はまずない。休みの日はごろ寝かゴルフ。現地の人との交流や生活手段に溶け込むチャンスを自ら断ってしまっているようである」と。そんな生活パターンを聞くと日本のサラリーマン生活となにも変わらないと思った。いや、なるほど企業進出とは工場の進出のみではなく、企業の名前や規模に関係なく日本人として工場団地内であれ、居住の団地組織であれ、一種の互助会をそこに造りだし、異国での精神的不安をみんなで分かち合い、心強い支えを在住日本人みんなで形成しているのではと思った。このことを裏付けるように家族の交流やサークル活動を主な活動とする日本人会はもちろん、グループや産業界の壁のない社長・工場長の会、職種毎の会等があり、意見交換しているという。だから、思いっきり企業活動に専念できているのではと。
街の中には多くのレストランがある。綺麗な造りの所もあれば、屋台のお店もある。当然、屋台は安い。店前に置かれたテーブルに座れば、まず飲み物からの注文そしてメインデイッシュの注文となる。どこにいっても人懐っこい笑顔と挨拶で迎えてくれる。そして不思議なほど街(場)にとけこみ易い。そんな心地よさに酔いながら地元の人と肩を並べテーブルに座った。お茶(菊茶)と福建麺でなんと4.3MR/人(約125円)だ。もちろんテイクアウトも出きる。どうしてこんなに「食」が安いのだろうか。そして、どうしていつも食物屋には人が絶えないのか。鈴木さんがふという「中華系はよく話すねえ、話題が絶えないのか」と。マレーシアの人は食べることが好きとは聞いていたが、いや、食べているだけではなくて正確には食べながらしゃべる、食べコミュニケーションというのがあるように思えた。
工場視察を終え鈴木さんと帰りのバスを1時間ほど待っただろうか。平日ということもありビジネスマンや学生が続々とターミナルに来た。フェリー乗り場ではもちろん、バスターミナルでさえ結局、日本人に会う事はなかった。やはり、我々の行動は、工場の方が言った様に稀だったのだろうかと鈴木さんと帰りのバスの中で苦笑いした。
旅行関係の本や雑誌が増え、個人旅行をする人が増え気軽に海外旅行を楽しめるようになった。しかし、これからの旅の型の中に、そこの人々がどんな生活をしているのか、日本との関係はどうなのか、その地で働く日本人はどうなのか等、広い視野で意識をもって自らみて回ること。それは、個人旅行であれツアーでもよい。この意識を持って旅行することで何か違ったその国の又は日本のかたちが感じられるのではないかと思った。
国際情報専攻 鈴木佳徳 著者紹介: 高校の教員をしています。授業では「政治・経済」と「世界史A」を担当し, |
このたび齋藤さんと訪れた、日本資本の現地企業について紹介する。この企業を仮にF社とする。F社は東京に本社のある石鹸メーカーが、100%出資してつくった国外のグループ会社である。1988年7月にペナン州に設立され、以来「高級アルコール」を製造してきた。アルコールといっても、いわゆる大人が飲むおいしいアルコールではない。パーム油を原料とする、飲めない工業用アルコールである。完成品の前段階の中間生産物(工業用製品)を造っている会社ということになる。そういえば最近、シャンプーや石鹸などに「植物○○」とか「天然○○」といった商品名やコピーが付いているのをよく見かける。体にやさしく、環境も考えていそうなそれらのネーミングの根拠を作り出している会社ということにもなろう。マレーシアは伝統的にオイルパームのプランテーションが盛んで、世界生産量の51%に当たる780万tを生産している(1995年)。その豊富な一次産品と人件費の安さを目当てに進出してきたのである。
工場には直径20〜50cmほどのパイプが縦横に走っている。外観は、パイプで出来た巨大な実験棟といったところである。その中で250人の従業員が、三交代制で24時間フルに稼働している。ブミプトラ(土地の子)といわれるマレー系マレー人が約5割を占め、インド系マレー人が約3割、中華系マレー人が約2割といった従業員構成である。日本人スタッフは2%に当たる5人であった。現場の仕事はマレー系とインド系が多くを占め、中華系が各部署で彼らを束ねていた。また、エアコンの効いているオフィスで仕事をしているのは、ほとんどが中華系であった。人種によって職種が分けられており、中華系が優遇されているような印象を持ったが、専務取締役の日本人によると「これでもブミ(ブミプトラ)は守られている」とのことであった。
帰り際、齋藤さんと並んで写真を撮ってもらった。その際、カメラの向こうに巨大なマンション群が目に入った。まだ完成はしていないようであったが、工業団地の中に高層マンションが建っているのである。同じ視界に煙突からの煙が入ってきた。「日本では考えられないですねェ」と話しを向けたところ、日本人の会計課長曰く「将来、あのマンションがF社の命取りになるかもしれない」とのこと。「東洋の真珠」とうたわれたペナンの海が、光を失った真珠色に濁っているのをフェリーから確認し、マレーシアが「高度経済成長期」であることを実感して帰路についた。
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