榎本武楊の見果てぬ夢


国際情報専攻 星亮一
 

著者紹介:
 太平洋戦争まで含めた日本近代史を勉強中です。
趣味は旅です。













私はこの秋、函館、松前、江差を訪ねた。幕府軍艦「開陽丸」の取材である。江差の海に眠っていた「開陽丸」が文化庁その他の手によって船体の一部や遺物が引き上げられて、もう二十年近くになる。現在、江差港の岸壁には復元された船体が固定され、開陽丸青少年センターとして一般に公開されている。「開陽丸」がオランダの造船所で進水式を迎えたのは元冶元年であった。四百馬力の補助エンジンを持つ三本マストの軍艦で、排水量二千七百十七トン、二十六門とも三十五門ともいう大砲が積み込まれ、当時世界最強の軍艦だった。艦名は夜明け前を意味した。「開陽丸」をオランダから回航したのが、榎本武陽ら幕府留学生だった。慶応三年、長い航海の末、帰国してみると、幕府は崩壊寸前だった。幕府が倒壊するや榎本は蝦夷地に新天地を求めた。旧幕府艦隊を率いて北海道に渡った榎本は、蝦夷島政権を樹立した。ここを開拓して、旧幕臣の生計の道を立て、あわせて北門の守りを固めんとした。しかし、このとき榎本のロマンを理解する人物が明治新政府にはいなかった。箱館戦争が起こり、江差に出撃した「開陽丸」は突然の嵐で座礁し、榎本は蝦夷島政権のシンボルである軍艦「開陽丸」を失った。皆呆然とたたずみ号泣した。私は近い将来、榎本のロマンと挫折を描きたいと考えている。この写真は開陽丸青少年センターで撮影したもので、撮影の制限はなかった。